1/18 礼拝動画・説教要旨
| 本日の説教要旨 「神の言葉が臨む時」 山本一牧師 エレミヤ書1章4〜19節 ⚫︎エレミヤ書1章には、若く力のなさを覚えていたエレミヤが、神によって預言者として召し出される場面が記されています。ここで語られる「召命」とは、特別な人だけに与えられるものではなく、私たち一人ひとりがすでに立たされている場所で、それぞれに神様のみ心を知り、主の働きへと押し出されていくことでもあります。 ⚫︎今日の預言者エレミヤの召命の場面の冒頭、4節には「主の言葉がわたしに臨んだ」と記されています。この「臨む」という言葉は、ヘブライ語で「ハーヤー」といい、「ある」「起こる」「現れる」という意味を持っています。モーセが神に名前を尋ねた時、神が「わたしはある」と答えられた場面にも用いられている重要な言葉です。つまり、「神の言葉が臨む」とは、単に教えを聞くことではなく、神ご自身が人生のただ中に入り込み、歩みの方向を変えられる出来事なのです。エレミヤは「恐れるな。わたしがあなたと共にいる」という言葉によって、困難な使命へと遣わされていきました。 ⚫︎新約聖書のヨハネ福音書は、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と語ります。神の言葉は、イエス・キリストとして人となり(ハーヤー)、私たちの痛みのただ中に来られました。神は「共にいる」と言われただけでなく、実際に苦しむ人の隣に立たれたのです。「神の言葉が臨む」とは、「神の言葉」として来られたイエス・キリストと出会うことでもあります。 ⚫︎阪神淡路大震災の時、長田区のカトリック鷹取教会で、神田神父は焼け残った地に立つキリスト像にヘルメットをかぶせ、「私たちのキリストは、被災地でヘルメットをかぶって一緒にいてくれはる」と語り、地域の人々と共に復興に取り組まれました。そしてイエス・キリストは高い所から見下ろす方ではなく、瓦礫の中で共に痛みや苦しみを担ってくださる方なのだという信仰の告白を持って震災後、鷹取教会は地域に根差した教会へと変えられていきました。 ⚫︎神様は預言者エレミヤに「アーモンドの枝」の幻を示されました。アーモンドは冬の終わりに最初に花を咲かせる木で、春の訪れを告げるしるしです。そして神様は、「わたしはわたしの言葉を成し遂げようと見張っている」と告げられました。 震災から31年を経た今、この神の言葉は、イエス・キリストが今もなお、癒えない傷を抱える人々のもとに臨み続けておられるという希望の宣言として受け止めることができます。そして私たちもまた、主に召し出された者として、傷ついた世界のただ中へと出て行く者でありたいと願います。 |