11/9 礼拝動画・説教要旨
| 本日の説教要旨 『信仰とは・・・』 山本一牧師 マルコによる福音書12章18—27節 ⚫︎「信仰」とはいったい何でしょうか。信仰とは、第一に「知識」ではないと言えます。「論語読みの論語知らず」という言葉があるように、聖書を知識として理解することと、その言葉に生かされることとは別です。信仰とは、知識を超えて、神の言葉が自分の生き方に響いてくる出来事なのです。 第二に、信仰は「疑いを持たないこと」ではありません。フランスの作家ジョルジュ・ベルナノスは「信仰とは九十パーセントの疑いと十パーセントの希望である」と語りました。信仰とは、迷いや不安の中でも、ほんのわずかでも神とその御言葉に希望を託すことです。 第三に、信仰とは「他人から理解されにくいもの」です。私たちはそれぞれ固有の命を持ち、人生を歩んでいます。その中で与えられる神の希望や励ましは、時に他者には理解しがたく、滑稽に見えることさえあります。 ⚫︎今日の聖書箇所は、イエス様とサドカイ派の人々との「復活」についての問答です。当時、ユダヤ教にはいくつかの派閥がありましたが、サドカイ派は祭司や貴族を中心とする一派で、モーセ五書のみを聖典として重んじていました。そこには復活の記述がないため、彼らは死後の命を否定していたのです。 サドカイ派の人々は、イエス様に皮肉を込めて尋ねました。「七人の兄弟が一人の女性を順に妻にした。復活の時、彼女は誰の妻になるのか?」―これは、復活を信じる者たちをからかうような問いでした。彼らにとって「復活」とは現世の延長でしか考えられず、そこには人間の痛みや切実な祈りが欠けていました。 ⚫︎イエスは答えられます。「復活」とはこの世の知恵や知識、生活の延長線上にあるのではなく、全く新しい神の世界に生きる命となることだと。そしてモーセ五書を引用して言われます。「神はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」―イエス様はこの言葉によって、この世で必ずしも報われなかったイスラエルの先祖たちを、神が今も「生きている者」として覚え、御手のうちに抱いておられることを示されたのです。 ⚫︎以前、永眠者記念礼拝の折、ある子どもがこう言いました。「天国はあるよ。だって神さまは、あの大好きなおばあちゃんと今も一緒にいてくださると思うから。」―この言葉にこそ、信仰の本質が現れています。そこには難しい教義や理屈ではなく、愛する者との別れという悲しみの中で、神に信頼する心が表されています。 信仰とは、人間の痛みと不安、喪失と希望のはざまから生まれるものです。神の言葉に希望と信頼を置く、その形は人それぞれです。だからこそ、互いの信じる心を大切にする教会でありたい。そして、たとえ人に笑われても、自分に示された神の希望の言葉を信じ、勇気をもってそれを伝えていく私たちでありたいと願います。 |