3/29 礼拝動画・説教要旨
受難節第6主日 棕梠の主日礼拝
3月29日 (日) 10:30~
説 教 「主イエスの叫び」山本一牧師
聖 書 マルコによる福音書15章33~41節(新p.96)
讃美歌 3,304,474,24
| 本日の説教要旨「主イエスの叫び」 山本一牧師 マルコによる福音書15章33〜41節 ●私たちは時に、思いもかけない悲しみや苦しみに直面すると、「一体、神はどこにいるのか」「なぜこのようなことが起こるのか」と問わずにはいられなくなります。それは誰もが人生の中で向き合う、深く切実な問いです。そして聖書は、イエスさまご自身もまた、そのような問いに似た叫びをあげられたことを伝えています。 ●本日のマルコによる福音書は、イエスさまが息を引き取られる前、十字架の上で「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」と叫ばれたと記しています。これは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。この言葉は、イエスさまが十字架の上でただ神に不信を抱き、恨みを述べられたということなのでしょうか。そうではなく、聖書をよく読むと、イエスさまのこの言葉には深い意図があったことがわかります。 ●この叫びは旧約聖書「詩編22編」の冒頭の言葉であり、その後には「助けを求める叫びを主は聞いてくださる…私の魂は必ず命を得、子孫は神に仕え、主のことを来るべき代に語り伝え…」と、救いへの希望を示す言葉が続いています。この冒頭を聞いたとき、ローマ人にはその意味が分からなくても、イエスさまに従っていた人々やユダヤ人には、その詩編全体の意味が思い起こされたに違いありません。 ●マルコによる福音書は、イエスさまが十字架で叫び、息を引き取られた時に、「婦人たちも遠くから見守っていた」とあえて記しています。イエスさまは、深い悲しみの中にあった彼女たちに向けて、この詩編22編を思い起こさせることで、「たとえ今、神に見捨てられたように感じても、神は決してあなたを見捨ててはいない」と語られたのではないでしょうか。 ●私たちもまた、時に「神はどこにいるのか」と問わずにおれない現実の中に生きています。しかし、その問いが最も深く響く場所においてこそ、イエスさまは共にいてくださいます。イエスさまの励ましの叫びは、時と場所を超えて、今も私たちに響いています。 そして私たちは、あの十字架の先に「復活」があったことを知っています。神は私たちの歩みを決して絶望で終わらせる方ではありません。神に望みを置き、主と共に歩み続ける者を決して見捨てることなく、驚くべき恵みの御業を一人ひとりに備え、それを語り継ぐ者としてくださることを共に信じ、歩んでまいりましょう。 |