5/3 礼拝動画・説教要旨
復活節第5主日礼拝
5月3日 (日) 10:30~
説 教 「主の愛につながって」山本一牧師
聖 書 ヨハネによる福音書15章1~11節(新p.198)
讃美歌 8,280,540,26
| 本日の説教要旨「主の愛につながって」 山本一牧師 ヨハネによる福音書15章1~11節 ⚫️アメリカでは、日常的に「ハグ(抱きしめること)」で挨拶を交わす文化があります。心理学の研究によれば、ハグには相手と深いレベルでつながり、孤独感を和らげる効果があるとされています。それは「自然の抗鬱剤」とも呼ばれ、人だけでなく動物もその温かな接触を求めていると言われるほどです。 聖書にも、抱きしめることの温かさを思わせる場面がいくつも登場します。イエス様が子どもたちを抱き上げられたという記述や、放蕩息子の帰りを待ちわびて走り寄り、首を抱いて涙した父親の譬え。あの譬え話の父親の姿こそ、罪人と呼ばれた人々を包み込むイエス様ご自身の愛の姿だったに違いありません。そして今日の福音書の言葉には、まさにそのハグにも似た、深い温もりが息づいているのです。 ⚫️そのイエス様が、ヨハネによる福音書15章で語られたのが、「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝である。…わたしの愛にとどまりなさい」という言葉です。ここで「とどまる」と訳されるギリシャ語「メノー」は、「離れずにそこにいる」「ずっと一緒にいる」という意味を持ちます。枝が木につながり続けてこそ生きるように、私たちもキリストから離れず、その愛の中に居続けることが求められているのです。 しかもこの言葉は、十字架を前にして語られました。イエス様は「友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と語り、ご自身の命をもってその愛を示されます。ですから「とどまる」とは、私たちが努力して神につながることではなく、すでに差し出された十字架の愛の中に、安心して身をゆだねることなのです。 ⚫️この姿を思い起こさせるのが、作家・幸田文のエッセイ『えぞ松の更新』です。北海道の厳しい自然の中で、エゾマツは倒れた古い木の上に芽を出し育ちます。凍てつく地面では育たない命が、朽ちゆく木の内部に残るぬくもりによって支えられるのです。幸田文は、その倒木に手を差し入れたときに感じた確かな温かさに心を打たれました。古い命が新しい命を支え、やがてまた次へとつながっていくその姿は、十字架にかかられたキリストの愛を思わせます。 ⚫️現代は多くのつながりに囲まれながら、なお孤独が深まる時代です。そのような私たちに、主は「わたしの愛にとどまりなさい」と招いておられます。そのぬくもりに身を置くとき、冷えた心は温められ、私たち自身もまた誰かを生かす存在へと変えられていきます。この一週間、主の愛にとどまり、そのぬくもりを分かち合う歩みへと導かれていきたいと願います。 |