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7/19 礼拝動画・説教要旨

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聖霊降臨節第9主日礼拝
7月19日 (日) 10:30~
説  教 「憐れんでください」 山本一牧師
聖  書 マルコによる福音9章14~29節(新p.78)
讃美歌 1,430,459,28

本日の説教要旨「憐れんでください」
山本一牧師

マルコによる福音書9章14~29節
⚫︎「つもりちがい十箇条」という文書があります。「高いつもりで低いのが教養、低いつもりで高いのが気位。深いつもりで浅いのが知恵、浅いつもりで深いのが欲望」。これは、私たち人間の思い違いをよく表しています。私たちは信仰についても、自分には信仰がある「つもり」になっていることがあるのではないでしょうか。
⚫︎今日の福音書には、汚れた霊に苦しめられている少年を、主イエスが癒やされた出来事が記されています。主イエスの弟子たちは少年を救おうと試みましたが、追い出すことができませんでした。そのため、そこでは律法学者たちとの間で押し問答が起こっていたのです。 そこに割って入られた主イエスは、「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか」と嘆かれます。ここで言われている「時代」とは、単に特定の時期を指すのではなく、人間の生きるこの世そのものの「不信仰」を意味しています。主イエスは、人間の根底にある不信仰を深く嘆かれたのです。 後になって、なぜ自分たちは悪霊を追い出せなかったのかと尋ねる弟子たちに、主イエスは「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできない」と言われました。弟子たちも、彼らなりの祈りをしたはずです。しかしそこには、「自分たちの経験や力で何とかできる」という思い、つまり自分たちには信仰があるという自負が残っていたのではないでしょうか。主イエスの厳しい言葉は、私たちのそうした思い込みを根底から打ち砕きます。
⚫︎主イエスが私たちに求めておられるのは、決して立派で強い信仰ではありません。むしろ、自分の中には誇れる信仰など何もないと気づき、ただ主にすがりつくことです。そのことを、少年の父親の叫びが見事に表しています。 「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」 この父親は、自分の信仰の強さに頼ったのではありません。信じたいけれども信じきれない、その弱く不確かな自分をそのまま主の前に差し出し、「憐れんでください」と助けを求めたのです。この無力な叫びこそが、主イエスの言われた「祈り」であり、今を生きる私たちに求められている姿です。
⚫︎弟子たちにも、そして私たちにも、誇れるほどの信仰はありません。それでも主イエスは、「その子をわたしのところに連れて来なさい」と優しく招いてくださいます。私たちが自らの不信仰や弱さを抱えたまま、すべての苦しみや悩みを主の御前に差し出すとき、主は私たちを深く憐れみ、その御手によって再び立ち上がらせてくださるのです。 「主よ、信じます。信仰のない私を憐れんで、お助けください。」今週も、この切実な祈りを握りしめ、日々の歩みへと遣わされてまいりましょう。

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