7/5 礼拝動画・説教要旨
聖霊降臨節第7主日礼拝
7月5日 (日) 10:30~
説 教 「主イエス・キリストのみ」 山本一牧師
聖 書 ガラテヤの信徒への手紙5章2~11節(新p.349)
讃美歌 17,210,483,28
| 本日の礼拝要旨 「主イエス・キリストのみ」 山本一牧師 ガラテヤの信徒への手紙5章2〜11節 ⚫️浄土真宗の宗祖・親鸞聖人に、次のような逸話があります。ある日、親鸞が高熱でうなされていると、目を閉じているのに無量寿経というお経の文字がはっきり見え、必死に読んでいる自分がいたと語りました。「ただ念仏だけでよい」という他力の教えを説いた親鸞自身の内にも、なお自分の努力で救われようとする思いが残っていたのです。そして、「まことに自力の執心というものは強いものだ」と言ったと伝えられています。 この言葉は、私たちキリスト者にも深く響きます。私たちは神の恵みによって救われると信じています。けれどもなお、「何かをしなければ神に受け入れられないのではないか」という思いに縛られることがあります。今日のガラテヤ書でパウロが語っているのも、まさにこの問題です。 ⚫️当時のガラテヤの教会には、キリストへの信仰に加えて、ユダヤ人の儀式である「割礼」を受けなければ本当に救われないと主張する人々が現れました。パウロはこれに対し、救いに人間の側の条件を付け加えることは、キリストの十字架を不十分なものと見なす行為であり、「恵みから落ちている」と述べ、わずかな律法主義(人間の行いへの依存)が、自分自身を不自由にし、また人を裁くことにもつながっていくのだと厳しく警告しています。 ⚫️この問題は現代の私たちにも通じます。私たちは知らず知らずのうちに「自分の行い」を救いの条件にしがちです。しかし、祈りや奉仕という人の働きは神に受け入れられるための交換条件ではなく、すでに救われ、愛されていることへの「感謝の応答」にほかなりません。パウロは言います、「キリスト・イエスにあっては、割礼の有無は問題ではなく、愛によって働く信仰こそが大切なのです」と。キリストに愛されたから、私たちも愛に生きる。それが、救われた者の歩みです。 ⚫️かつて老人ホームの礼拝で、ある牧師がこう語られました。「小さなハエがアメリカへ行きたくて、自分の力で太平洋を越えようとした。しかし、どれだけ羽ばたいても越えられない。けれども、そのハエは空港へ行き、飛行機に乗せてもらって海を越えることができた。『キリスト教の救いとは、そういうものです』」この福音は、体が思うように動かず、奉仕や礼拝への出席が叶わなくなった高齢者や、理想の物差しに縛られて悩む若い世代に深い慰めを与えます。祈れない日があっても、何もできないように思える日があっても、キリストは私たちを担っておられます。キリストだけで十分なのです。この福音に立ち、重荷から解き放たれ、自由と感謝をもって、愛に生きる者とされていきましょう。 |