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8/16 礼拝動画・説教要旨

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聖霊降臨節第13主日礼拝
8月16日 (日) 10:30~
説  教 「互いを補い合うために」南豊牧師
聖  書 エフェソの信徒への手紙4章11~16節(新p.356)
讃美歌 7,418,542,24

本日の説教要旨「 互いを補い合うために 」
南 豊牧師
エフェソの信徒への手紙4章11節~16節
●「どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」。皆さんは、何の本の一節かご存じでしょうか。
●この言葉は、世の中で起きる様々な衝突、対立の本質を鋭く捉えた言葉だと言えます。人は自分が間違っていると思って争うことはありません。しかし、どれほど聖書に照らして正しい主張であっても、そこに「愛」が欠けてしまえば、その言葉は相手を傷つけ、共同体を破壊する凶器へと変貌してしまうのです。この人間の悲しい性質を、私たちはどのように乗り越えればよいのでしょうか。そのヒントは、エフェソの信徒への手紙4章にあります。
●パウロはここで、教会の中に様々な役割があることを語っています。これは決して、牧師や役員が上に立ち、一般の信徒が下にいるという「組織のピラミッド」や階級の優劣を意味するものではありません。教会の本来の姿とは、牧師などのリーダーだけが奉仕を独占する場所ではなく、そこに集う「すべての信徒」がそれぞれの場所で神と人に仕えることができるよう、互いに整え、サポートし合う場所なのです。礼拝で賛美をリードする人、受付で迎える人、掃除をする人、病床の人のために祈る人など、教会の中に不要な存在は一人もいません。人間の体が、目立たない小さな関節一つが痛むだけで動けなくなるのと同じように、どんなに小さな働きや目立たない祈りであっても、それらはすべて「キリストの体を造り上げる」という目的のために等しく尊い価値を持っています。私たちは、誰がより貢献しているかを競うのではなく、互いの違いを活かして仕え合い、補い合うために集められているのです。
●パウロが目指した教会の姿は、一人ひとりが完璧な聖人になることではなく、力を合わせてキリストの愛を証しする「成熟した一つの共同体」となることでした。私たちは誰しも弱さや不完全さを持っています。だからこそ、自分の正しさだけを主張し合えばバラバラになりますが、神はその弱さを互いに補い合うために教会を作られました。誰もが「自分が正しい」と主張し、傷つけ合う世界の中で、私たちはキリストの愛に結ばれた一つの体として歩んでいきましょう。隣人の弱さを見るときには、裁くのではなく自分がそれを補うものとなれるよう祈り、自分の弱さに直面するときには、意地を張らずに隣人の助けを感謝して受け入れる。この恵みの循環のなかに、共に成熟へと向かう歩みがあるのです。

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