8/17 礼拝動画•説教要旨
本日の説教要旨 「キリストの目に映るもの」 山本一牧師
マタイによる福音書9章35〜10章4節
戦後 80 年を迎えました。激しい地上戦を経験した沖縄の佐喜眞美術館にある「沖縄戦
の図」には、瞳の描かれていない人々が描かれています。これは、極度の恐怖と悲しみの
中で感情が麻痺していた当時の状況を表しています。ただ、その中で 3 人の子どもだけに
は瞳が描かれ、未来への希望を託す画家の思いが込められています。私たちも困難や悲し
みに直面すると、現実を直視できない「空白の瞳」のようになることがあります。しか
し、私たちは受難の中でも希望を持って生き抜かれたイエス・キリストを思い起こしたい
のです。
今日のマタイ福音書は、イエスが町や村を巡り、「飼い主のいない羊のように弱り果て
た」群衆をご覧になったと伝えています。当時の人々は、ローマの圧政と律法主義的な宗
教指導者の冷酷さの中で、罪に震えても赦しはなく、貧しさにあっても助けを得られない
状況にありました。イエスはそんな人々をご覧になり、「深く憐れまれました」。この言葉
は「はらわたがちぎれるような痛み」を意味し、神の深い愛と共感を表しています。
しかしイエスは、悲惨な現実を直視しつつも「収穫は多い」と宣言されました。それは、
苦しみのただ中からも神が必ず「神の国」をもたらす人々を生み出されるという確信から
の言葉です。そしてイエスは「収穫のため働き手を送ってください」と祈り、12 弟子を派
遣されました。弟子たちは皆、不完全で欠けのある者で、何も持たずに送り出されまし
た。キリスト者の使命とは、厳しい現実を直視しつつ、苦しむ人と同じ痛みを分かち合
い、共に祈ることにあり、そこに「神の国」の癒しと奇跡が起こることを示そうとされた
のです。
イエスは現実の闇から目を背けず、その中に飛び込み、迫害と受難の道を歩まれまし
た。そして、父なる神への希望と人への愛をもって生きれば、神は必ず応えてくださると
信じて生き抜かれました。その澄んだまなざしが、人々を絶望から立ち上がらせ、希望を
もって歩ませたのです。
東日本大震災の被災地・三陸には「眼は臆病だが、手は鬼になる」という格言がありま
す。恐れがあっても行動すれば驚くべき力になるという意味です。東北の被災地をはじ
め、悲惨な現実の只中で、共感と憐れみを持って支え合い、励まし合ってきた人々の歩み
を私たちは知っています。いつの時代にも戦争や困難はあり、教会もまた厳しい現実に直
面します。しかし、私たちは現実を直視しつつ、イエスの憐れみの心をいただき、聖霊の
力によって押し出され、「できることを少しずつ」誠実に行う者でありたいと願います。そ
して戦後 80 年の今、悲惨な過去を忘れず、平和を求め続ける歩みを確かなものとしてまい
りましょう。