8/2 礼拝動画・説教要旨
聖霊降臨節第11主日 平和聖日礼拝
8月2日 (日) 10:30~
説 教 「イエスを見つめながら」 山本一牧師
聖 書 ヘブライ人への手紙12章1~13節(新p.416)
讃美歌 4,474,532,24
| 本日の説教要旨「イエスを見つめながら」 山本一牧師 ヘブライ人への信徒への手紙12章1~13節 ⚫︎石川啄木の歌集『一握の砂』に、次のような有名な歌があります。 「はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」 働き続けてきた自分の手を見つめながら、啄木はこれまでの人生と今の自分を振り返ったのでしょう。私たちにも、自分の手をじっと見つめ、「これまで何をしてきただろうか」と思いを巡らせる時があります。成し遂げられたことだけでなく、できなかったこと、誰かを傷つけてしまったこと、助けを求める人に手を差し伸べられなかった記憶も思い起こされます。 ⚫︎平和聖日を迎えるにあたり、私たちは自分自身の歩みと共に、国と教会が歩んできた歴史を振り返ります。戦争へと向かう社会の中で、教会は平和のために働いたでしょうか。それとも沈黙し、戦争に協力してしまったのでしょうか。過去の過ちを忘れず省みることなしに、真の平和への道を歩むことはできません。 しかし聖書は、自分の手(過去)だけを見つめ続けなさいとは語りません。自分自身ばかりを見つめていては、後悔や無力感、あるいは自己正当化に捕われ、新しい一歩を踏み出せなくなってしまうからです。 ⚫︎ヘブライ人への手紙は、直前の11章で旧約聖書の信仰者たちの歩みを振り返っています。しかし、そこで終わるのではなく、12章2節で「信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめながら、走り抜こう」と呼びかけます。 私たちが仰ぎ見るイエスの御手は、病人に触れ、子どもを抱き、空腹の人にパンを分け、弟子たちの足を洗われた手です。そして最後には、十字架に釘で打ちつけられた手でした。イエスは暴力に暴力で報いることなく、十字架の上で赦しを祈られました。傷つけられたその御手によって、憎しみの連鎖を断ち切られたのです。その十字架の御手にこそ、私たちの罪の赦しがあり、もう一度「義という平和に満ちた実を結ばせる」(11節)歩みを始める力が与えられます。 ⚫︎戦争は、相手を一人の人間としてではなく「敵」と見なすことから始まります。それに対して平和への道、そして教会の宣教の働きは、偏見や憎しみ、無関心を脱ぎ捨て、傷ついた人に手を差し伸べ、異なる立場の人の言葉に耳を傾けることから始まります。 「萎えた手と弱くなった膝をまっすぐにしなさい」(12節)と聖書は私たちを励まします。自分の手を見つめれば、そこには弱さと過ちしか見えないかもしれません。しかし、イエスの御手を見つめるなら、主はその弱い手をも平和のために用いてくださいます。握りしめていた拳を開き、隣人と手を取り合うために手を伸ばしましょう。主イエスを見つめながら、平和をつくり出す一歩を、今日ここから踏み出していきましょう。 |