9/6 礼拝動画・説教要旨
聖霊降臨節第16主日礼拝
9月6日 (日) 10:30~
説 教 「救い主は今、共に」山本一牧師
聖 書 マルコによる福音書12章35~44節(新p.87)
讃美歌 10,474,513,25
| 本日の説教要旨「救い主は今、共に」 山本 一牧師 マルコによる福音書12章 35~44節 ●メーテルリンクの『青い鳥』では、幸せの青い鳥を求めて遠くまで旅をしたチルチルとミチルが、それは初めから身近なところにいたことに気づきます。私たちも、より強く、豊かに、日常にはないものに幸せを求めます。しかし、本当に大切なものは、今ある命や日々の生活、身近な人との交わりの中に隠されているのかもしれません。 ●当時の律法学者たちは、長い衣をまとい、広場で挨拶され、会堂や宴会で上席に着くことを望みました。人から立派な信仰者と見られることを求める一方で、「やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈り」をしていたのです。神に仕えるはずの信仰が、自分を飾り、弱い人を利用するものへと変質していました。 ●また人々は、メシアを「ダビデの子」と呼び、理想の王ダビデのような強い救い主を期待していました。ミケランジェロの「ダビデ像」は、若く、力強い理想の姿を表しています。一方、スタンフォード大学美術館には「スラブ・マン」という、「ダビデ」の名札を付けた、弱さや疲れを抱える等身大の人間像が展示されています。そこに「美」があるという作者の思いが現れています。 実際に来られたイエス様は、現実社会の中に身を置き、病む人に手を伸ばし、罪人と食卓を囲み、悲しむ人と共に涙を流された一人の人間でした。その謙遜な姿ゆえに、多くの人はこの方こそ救い主であることに気づきませんでした。しかし、自らの貧しさや弱さを知る人々は、その教えに喜んで耳を傾けました。救い主は遠くではなく、私たちの現実のただ中におられたのです。 ●イエス様は、生活費のすべてであるレプトン銅貨二枚を献げた、貧しいやもめをご覧になりました。この出来事を単なる「献金の美談」として読むことはできません。本来守られるべき人が、すべてを差し出すほど追い詰められている現実を、イエス様は痛みをもって見つめておられたのです。人々がそのやもめを見過ごしても、イエス様は彼女とその日々の営みを決して見過ごされませんでした。そして弟子たちにも、主と同じまなざしで社会を見つめ、苦しむ人と共に生きるよう招かれたのです。 ●救い主は、誰にも理解されない悲しみ、先の見えない不安、何の価値もないように思える小さな歩みの中に、共にいてくださいます。その身近にある恵みに目を開き、罪深く弱い私たちを愛し、救いをもたらしてくださったイエス・キリストを見つめましょう。そして、苦しむ人々と共に生きる歩みへと進んでまいりましょう。 |