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現在の教会堂と幼稚園について

1948年5月に伊丹消費生活協同組合の2階で礼拝を始めてから2年間で70人が洗礼を受け教会員は130人近くになりました。伊丹消費生活協同組合の2階の部屋では入りきれなくなったことから、教会を建設することが話題になっていきました。しかし、食べ物を買うためのお金にも窮している時代で、献金額が極めて少なく、積立金は1円もなかったそうです。
そのような時に、現在の伊丹教会の土地を売却したいという話があり、教会役員の個人定期預金を担保に銀行からお金を借りて購入しました。そのため教会員全員が建築委員会の委員となって募金活動を開始しました。募金活動は中学生も参加し、1軒1軒訪ね歩かれたそうです。その結果、隣接する土地も購入し終戦からわずか5年の1950年10月15日に献堂式を執行しておられます。また、1951年4月には二葉幼稚園も設立されました。
その後38年が経過し教会の建物が古くなり1988年に会堂の建て替えが決議され、建築委員会が設立されました。教会の設計は教会役員の中に、高槻教会など数か所の教会を設計された実績を持つ一級建築士の方がおられ、その方にお願いすることにしました。
礼拝堂は200人が座ることができるように設計されました。また、礼拝堂には3本の柱があります。これは三位一体を表しています。父と子と聖霊が礼拝堂の中に立ち私たちを見守っていてくださっていることを意味しています。
旧礼拝堂の正面にあった十字架は、現在の教会の玄関を入った正面に取り付けられました。また、祈りの部屋は外にも扉があります。道行く人が自由に祈りの部屋に入って、祈りを捧げるように造られています。
二葉幼稚園も同時に建築することにしました。その際に、これまでの宗教法人立から学校法人格を取得し、伊丹教会との関わりを明確にするため「学校法人伊丹教会学園二葉幼稚園」と命名することとしました。
こうしていよいよ新築工事になるのですが、時はバブル時代。用意した資金で建築出来るか不安に思っているときに、神様は不思議なことをされました。なんとバブルが弾けたのです。建築委員会は4社を選定し入札の結果、設計事務所が最初に提示した金額よりも安価に落札されました。おかげで新築する礼拝堂にふさわしいオルガンや説教台、椅子などを購入する余裕ができました。
1994年3月14日に解体工事が始まり、同年12月1日にほぼ完成したため、12月25日に新しい礼拝堂で最初の礼拝、クリスマス礼拝が捧げられました。
それから23日目、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生しました。新しい教会は大きな損壊もなく、同年1月31日に引き渡しを受けました。
残った資金の一部は基本金会計に戻され、伊丹教会の伝道師が海外留学を希望されたときに活用されるよう「教職研修基金会計」が設立されました。その他「開拓伝道資金積立金会計」として積み立てられました。当時伊丹市北部に伝道所を設置することが検討されていたからです。また、会堂の竣工を記念して「愛踊聖句・愛唱讃美歌集」が発行されました。
最後に当時の西田晃牧師が「新会堂献堂の年にあたって」と題して次のメッセージを残されました。
「神の導きを受け、不思議なお働きに支えられて、会堂・園舎の建築が完了し、献堂式まで済ませることが出来ました。猛暑、洪水、阪神・淡路大震災と多難な年でしたが、大きな恵みを受けました。震災のこと、被災者の心などを考えて献堂式を規模縮小しました。そのため準備した費用を救済資金として捧げることもできました。(略) 献堂のあと、新しい会堂での宣教と交わりの業を、神の祝福のうちに進めることが出来るでしょう。各自の賜物を捧げて一致団結して進んでいきましょう。建物としての会堂の土台はもちろん、信仰共同体としての教会の土台も、各自の信仰生活の土台も、すべてイエス・キリストです。」

2025年5月18日の男性会(仮称)例会において教会員の岩倉善樹さんにより披露された「現在の伊丹教会建築に至った苦労話」を要約しました。