1. HOME
  2. お知らせ
  3. 1/25 礼拝動画・説教要旨

1/25 礼拝動画・説教要旨

伊丹教会ロゴ

本日の説教要旨 「新しい教え」  山本一牧師
マルコによる福音書1章21〜28節
⚫︎創世記は、「人は神の息(霊)を受けて生きる者となった」と告げています。すべての人は神の霊を宿す、かけがえのない存在です。しかし私たちは、家庭や職場、学校や教会の中で、「こうあるべきだ」「もっと頑張らなければ」という思いに縛られ、互いの命を、そして自分自身の命を萎縮させてしまうことがあるのではないでしょうか。善意から出た教えや期待の言葉が、かえって人の命の成長の芽を摘んでしまうこともあります。 イエスさまの教えは、それとは全く異なり、人の内にすでに与えられている霊の力を信頼し、それを縛る力そのものを退けるものでした。
⚫︎今日の聖書では、イエスさまが会堂で教えておられる時、「汚れた霊」に取りつかれた男が叫びます。当時は、病や人の混乱した状態を霊の働きと考えていました。この霊は「かまわないでくれ」と叫びます。原文では、「あなたはあなた、私は私だ」という言葉です。希望と自由に満ちたイエスさまに対して、「自分は変われない存在だ」「価値のない存在なんだ」と訴えているようにも聞こえます。 私たち自身もまた、「本当はより良く生きたいができない」「変わりたいが変われない」という思いを、心の奥に抱えているのではないでしょうか。 そんな心の闇に向かって、イエスさまは「黙れ、出て行け」と語られました。それは人を裁く言葉ではなく、人を縛り続けてきた力そのものを退け、解放をもたらす言葉でした。人間がどれほど努力しても届かなかった心の奥に、イエスさまは触れ、そこから新しい歩みを始めさせてくださるのです。
⚫︎山浦玄嗣訳は、イエスさまの教えが、掟を押しつけるものではなく、のびやかで命に満ちたものであったと伝えています。イエスさまは、すべての人が神の霊を宿す尊い存在であることを思い起こさせ、その命が本来の姿を取り戻すために来られたお方です。これが人々を驚かせた「新しい教え」でした。それは新しい知識ではなく、新しい生き方への招きでした。
⚫︎「はきだめに えんどう豆咲き 泥池から蓮の花が育つ   人皆に 美しき種子あり 明日何が咲くか」――安積得也 この詩のように、主は私たちの内なる命の力を信じ、共に歩んでくださるお方です。神の息を受けたすべての命が、今週もイエスさまの愛の中で、焦らされることなく、伸びやかに育まれていきますように。主の「新しい教え」に耳を傾けつつ、歩んでまいりましょう。      

新着記事

お知らせ一覧