8/31 礼拝動画・説教要旨
8 月31日の説教要旨
「要注意、家の中でもホームレス」
春名康範牧師
聖書 マタイによる福音書12章43~50節
落語に「貧乏神」というお話があります。不景気で借金だらけの夫婦が「お前は貧乏神だ」「あんたこそ貧乏神よ」とののしり合っていると、貧乏神が入って来たので出て行ってもらおうと友達を連れて来て陽気に騒ぎ立てると、貧乏神がフラフラと立ち上がったので、亭主は「やいやい、貧乏神、皆で陽気に騒ぐのでいたたまれなくなって出て行くんだろう」と言うと、貧乏神が言った。「うんにゃ、あんまりおもしろいので友達の貧乏神をみんな呼んで来る」と言ったという話があります。
43~45 節に段落で汚れた霊が人から出て砂漠をうろついていたが休む場所が見つからないので「出てきた我が家に帰ろう」と戻ってみると空き家になっていて、自分より悪い 7つの霊を連れて来て住み着いたと記してあります。この「空き家」という単語は、スコラゾーで「暇がある」という意味があります。名詞形だとスコレーで「学校」「暇をつぶす」という意味で英語の School の語源ですが、現代では学校は暇をつぶす処ではなく競争社会になっています。その代わり家が空き家になっていないでしょうか。マーガレット・ドラブルの「碾き臼ひきうす」という小説があります。主人公はケンブリッジ大学で学ぶ女子学生で幼い時から「自立」を教えられて来た彼女は、他人に頼ることは罪であると考えていました。しかし、クリスマスの前日、ひどい風邪を引いて、誰かに援助を頼むしかないと考え、アパートの隣人に「少しの間、赤ちゃんを見ていて欲しい」と頼みました。すると、まるで頼まれたことを感謝するかのように喜んでくれたのです。46 節に「イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた」と書かれています。「その」と書かれていますので、イエス様は家族のことを話しておられたのだと思います。イエス様も自分のことを理解してくれない家の中に自分の居場所が無かったのかもしれません。「外に立って」が 2 回書かれています。これは強調です。イエス様は人々に「誰でも、天の父の御心を行う人がわたしの兄弟、姉妹、また母である」(50 節)と言われました。血縁だけが家族ではありません。家の中に居場所のない人はいないでしようか。教会は神の家族形成の場です。