1/4 礼拝動画・説教要旨
| 本日の説教要旨「主は変わらず共におられる」 山本一牧師 ルカによる福音書2章41~52節 ⚫︎今日の聖書は、イエスが十二歳の時、過越祭のために家族と共にエルサレムを訪れた際の出来事を伝えています。多くの巡礼者で溢れる祭りの後、帰路についたマリアとヨセフは、道中でイエスがいないことに気づきます。三日後、ようやく神殿で見出されたイエスは、律法の教師たちと語り合っていました。この物語は、新しい年の初めに立つ私たちに、自らの信仰の姿を映し出す鏡のような出来事です。 ⚫︎昨年暮れに、クリスマス映画の名作ホーム・アローンを観ました。大人数での旅行準備の混乱の中、少年が一人取り残されてしまう物語です。必死に息子のもとへ戻ろうとする母親の姿を見ながら、私は、イエスを探してエルサレムへ引き返したマリアとヨセフの姿を思い浮かべました。今日の聖書もまた、慌ただしい日常の中で、本当に大切な存在を見失ってしまう人間の現実を描いています。ここで重要なのは、イエスが迷子になったのではなく、両親がイエスを見失ったという点です。 ⚫︎神殿で再会した時、イエスはこう語ります。「どうしてわたしを探したのですか。わたしが父の家にいるのは当たり前ではありませんか。」この言葉をマリアとヨセフは理解できませんでした。母マリアは、この出来事をすべて心に納めたと記されています。ここで鍵となるのが「過越祭」と「三日後」という言葉です。約20年後、イエスは再び過越祭の時に、人々から見捨てられ、十字架にかけられます。しかし三日後、復活されました。少年時代の出来事は、十字架と復活を先取りする出来事として、すでにこの時から示されていたのです。人は主を忘れ、退けてしまう存在である。しかし主は、決して父なる神から離れることのないお方です。 ⚫︎マリアは深い信仰を持った人物でしたが、イエスを見失った時には、うろたえ、涙を流したに違いありません。人間とは、そのような弱さを持つ存在です。そして聖書は、そのことを否定していません。むしろ、そのような歩みの中で主を求める時に、「どうして探したのか。わたしはいつも共にあるではないか」という主の声を聞くことができるのだと告げています。ここに私たちの大きな希望があります。 私たちは、変わらぬ神の愛と力をもって、常に私たちと出会ってくださるイエス・キリストに、毎週の礼拝を通して出会い続けたい。その歩みを新しい年も大切に重ねていきたいと、心から願います。 |