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2/15 交換講壇礼拝動画・説教要旨

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本日の説教要旨 「過ちを赦す」
大川隆夫牧師
マタイによる福音書6章14~15節
中世以降のキリスト教思想に多大な影響を与えた人物として、良く知られているのが、ご存知の方もあると思いますが、アウグスティヌス(354~430)という人物の思想です。
今朝では、まず、アウグスティヌスがペラギウス主義者との論争の中で主張した思想を少し紹介したいと思います。ペラギウス主義者は、「人間は良く生きようと欲すれば、自分の意志でそれを可能にすることが出来る。」と主張するのですが、これに対してアウグスティヌスは、「人間は神様からの恩恵が与えられなければ、良く生きることなどは到底出来ない。」と主張し、この主張を裏付ける聖書の言葉として、フィリピの信徒への手紙2章13節に書かれている、「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」という言葉が良く引用されています。
最終的にペラギウス主義者の考えは異端として排斥されますが、今日、改めて、みなさんに考えていただきたいのは、先ほどのアウグスティヌスの「人間は神様からの恩恵が与えられなければ、良く生きることなどは到底出来ない。」という主張はすべての場合に当てはまるのかということです。
今日は聖書の箇所として、「マタイによる福音書6章14~15節」を選びました。イエスの教えた「主の祈」の後に続くイエスの言葉ですが、よく読むと、この言葉は非常にラディカルな言葉で、人間は、まず神が赦し、人間は「同様に」なすべきであるゆえに赦すというふうには語られていないということです。「過ちを赦す」という中心はあくまでも人間の行為にあり、このイエスの言葉は、最初に紹介した、ペラギウス主義者の考えと通じるところがあるように思います。
話は少し変わりますが、かつてキリスト者詩人であった八木重吉(1898~1927)は、「すべての くるしみのこんげんは むじょうけんに むせいげんに ひとをゆるすという そのいちねんがきえうせたことだ」という詩を書いていますが、今日の聖書の箇所も実は人間が「過ちを無条件に、無制限に赦す」社会をより強い自覚を持って作っていくことをイエスが命じている箇所であると私は思うわけであります。今日、この場に集められた私たち一人一人、それぞれに与えられた場で、私たちが出会うであろう過ちを犯した人たちを、より強い自覚を持って、無条件に無制限に赦していけるように歩み続けて行きたいと改めて思わされています。

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