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4/5 礼拝動画・説教要旨

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復活節第1主日  イースター礼拝
4月5日 (日) 10:30~
説 教 「いのちの終わりはいのちの始め」山本一牧師                        
聖 書 マルコによる福音書16章1~8節(新p.97)
讃美歌    325,327,326,25

本日の説教要旨いのちの終わりはいのちの始め」
山本一牧師
マルコによる福音書16章1〜8節  
⚫️詩人の宮澤章二さんの言葉には、どこか聖書の語りにも通じる響きがあります。すなわち、目に見えないもの―愛や心、信仰が、具体的な生き方として現れるという視点です。彼は「視野」という詩を残しておられます。 「一冊の書物の最後のページを読む。けれど、それは終わりではない。・・・一つの終わりが秘めているのは、一つの新しい視野への始まり。・・・私たちのかけがえのない一生でさえ、終わる時に何かが始まる。」 この言葉は、「復活」という出来事を理解するための大切な視点を与えてくれます。
⚫️本日の福音書は、イエスさまの復活の朝の出来事を伝えています。十字架につけられ、墓に葬られたイエスさまを慕い、三日目の朝、婦人たちが墓を訪ねると、墓は空であったのです。 マルコ福音書は、元々「婦人たちは恐ろしくなって逃げ去った」というこの8節の言葉で書き終えられていたと考えられています。しかも原文では、その最後に「ガル(というのは)」という接続詞が置かれ、「そして……」と続くはずの言葉が途切れたまま終わっているのです。この不思議な終わり方は、私たちの想像力や視野を広げさせます。 7節には「イエスさまは先にガリラヤへ行かれた」とあります。ガリラヤとは弟子たちの日常の生活の場です。すなわち復活の主は、私たちの生活のただ中におられる事を示唆しています。しかし、それに気づくためには、心の目が開かれなければなりません。
⚫️イエス・キリストは、無残にも十字架につけられ葬られました。しかしそれで終わりではありませんでした。弟子たちは後に心の目を開かれ、主が今も生きておられることに、さまざまな形で気づかされていき、全ての終わりだと思ったその「墓」からキリスト教の歴史が始まり、世に広まっていったのです。
⚫️私たちもまた、日々の中で「終わり」を経験します。しかしその時こそ、主は新しい命の始まりを備えておられます。心の目を開かれ、復活の主に気づき、その命に励まされて歩む者とされたいと願います。 「幸福の扉の一つが閉じると、別の一つが開く。しかし私たちは、閉じた方ばかりを見つめていて、こちらに向かって開かれている、もう一つに気づかない。」(ヘレン・ケラー) 私たちはしばしば、失われたものに心を奪われます。しかし復活の主は、すでに新しい命の扉を開いておられます。私たちもその扉に気づき、主と共に新しい一歩を踏み出していきましょう。

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