12/7 礼拝動画・説教要旨
| 本日の説教要旨 「御言葉の光に照らされて」 山本一牧師 エレミヤ書36章1-10節 ●落葉の季節、良寛和尚の「裏を見せ表を見せて散る紅葉」という歌を思い起こします。この歌は、良寛が最期まで心を尽くして世話をした「貞心尼」に宛てて詠まれたと伝えられ、自分の表も裏も隠さず受け止めてくれた存在への深い感謝が込められていると言われています。 聖書が語る「救い」とは、まさに良い面も醜い面も包み隠さず神の前に差し出し、すべてを受け止めてくださる方に身を委ねて生きることです。イエス・キリストという光は、私たちの表も裏も、ありのままを照らし出し、包み込んでくださる光なのです。 ●今日のエレミヤ書36章は、その光の前で私たちがどのように応答するかを問いかけています。神はエレミヤに20年以上にわたり「怒りと裁きの言葉」を語らせましたが、それは人を滅ぼすためではなく、「悪の道から立ち帰るなら罪と咎を赦すため」(3節)でした。神は繰り返し預言を語らせ、巻物に書き記させ、民の前で読み上げさせます。しかしヨヤキム王は、自分に都合の悪い言葉が読まれるその巻物を暖炉で焼き捨ててしまいました。この姿は、今を生きる私たちの姿でもあります。神は御言葉を通して、神の道から離れている私たちの現実、内にある闇に気づかせようとしておられるのに、私たちはしばしばその招きを拒み、耳を閉ざしてしまうからです。 ●それでも神は、そんな頑なな人間を見捨てられませんでした。ついには御自身が人となって、暗闇の中に光として来てくださった―それがクリスマスの出来事です。イエス様は罪人に寄り添い、赦し、憐れみを示し、ついには十字架において、私たちのどうすることもできない闇の部分である「罪」の裁きを引き受けてくださいました。この愛の光を確かに受け止めるために、私たちはアドベントの時、静かに自らを省みる時を過ごすのです。 ●アドベントの紫のろうそくは「悔い改め」を象徴しています。そのキャンドルに一週ごとに火を灯し、自省の歩みを進める中で、自らの弱さや限界を深く知らされるからこそ、イエス様の誕生の光は温かく私たちの内に差し込んでくるのです。私たちは、立派になってクリスマスを迎えるのではありません。未熟さ、罪深さ、醜さを知る者であるからこそ、主の愛の光はまばゆく輝き、私たちを包んでくださるのです。 ●先に紹介した「表を見せ裏を見せて散る紅葉」という歌は、私たちが最後の時まで、良い面も醜い面もイエス様に知られ、受け止められ、抱きしめられて生き、そして召されていく姿を思い起こさせてくれます。 今週も御言葉の光に照らされながら、ありのままの自分を主に差し出し、憐れみの光の中を歩んでいく者でありたいと願います。そしてクリスマスの日、キリストの誕生の真の喜びを心にいただくことができますように、共に祈りつつ歩みを進めてまいりましょう。 |