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9/7 礼拝動画・説教要旨

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本日の説教要旨 「良い麦か、毒麦か」
山本一牧師
マタイによる福音書13章24〜30節
⚫三浦綾子さんの小説『毒麦の季』には、純粋な心を持った少年が、大人たちの都合やエゴによって傷つけられ、人生を狂わされる姿が描かれています。子どもの心に、大人の嘘や不義という「毒麦」が蒔かれ、それが成長して不幸を招く。社会が本来守るべき子どもの心を守り切れていない現実を突きつけています。
⚫今日の聖書箇所は、まさにその小説の題名ともなったイエスの「毒麦の譬え」です。イエスは神の国について語るとき、常に一つの要点を伝えようとされました。この譬えの核心は「死後の裁き」や「運命論」ではありません。毒麦が最後に実を結ぶまで、それが良い麦か毒麦かは分からないということです。そして主人は「収穫までそのままにしておきなさい」と言います。原文では「共に育つのを赦しておきなさい」とあり、神は人を早々に悪人と決めつけ、滅ぼす方ではないと示されているのです。イエスの周りには、罪人とレッテルを貼られた人々が多くいました。しかし「毒麦」と思われていた彼らが、イエスとの出会いを通して新しくされ、神に従う生き方を始めたのです。まさに神の国では、イエスの愛に触れて人が変えられる出来事が起こるのです。
⚫新島襄は晩年、教会を規則で縛ろうとする風潮に対し、「神は人に審判の権限を与えてはいない。人は兄弟の罪を断定することはできない」と語りました。イエスの時代もまた、律法主義と干渉主義が人々を縛っていました。しかし主は、徴税人ザアカイを変え、迫害者であったパウロを新しい器として立てられました。イエスは、悪の力に毒されたすべての人を救うために来られたのだと聖書は告げています。
⚫どんなに純粋な子どもでも、成長する過程で親や社会の矛盾に触れ、心が汚されていきます。私たちもまた、奉仕や良い行いをしても、後に苛立ちや妬み、恨みにとらわれることがあります。「良い麦か、毒麦か」自分でも分からない面を抱えています。だからこそ、私たちにはイエス・キリストが必要なのです。ザアカイの家に泊まられた主は、今も私たちの心に宿ってくださいます。そのイエスを救い主として受け入れ、日ごとにその愛に生かされる歩みこそが、やがて訪れる終わりの時への備えとなるのです。

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